ラベル 考察 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 考察 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年5月26日月曜日

物理

さあフェルデンクライスに役に立つ勉強をしてみよう!

とここ数年で断続的に思い立っては挫折しています。

今思い起こすとだいたい同じパターンです。モーシェ・フェルデンクライスの言っていることは難しくてよくわからないので置いといて、フェルデンクライスは人間の身体に働きかけることだから、人体を学ぼう!というもの。あとは部位の違いだけ。

だいたいやっていくうちに、「あれ、これは医学の勉強で、フェルデンクライスの勉強じゃないんじゃない?っていうかこういうのとは別にフェルデンクライスの勉強になる何か重要なことがありそうなんだけど、なんなんだろうか?」というモヤモヤっとした感じで終わります。

そこで今回の勉強は生物から離れて物理学にしました。モーシェは物理学者でもあったし、私の直接の先生のエラットも物理学者だ。詳しくはよくわからないけど、何かあるのではないかという勘です。数式苦手だけど。
そこで数式を無視して古典物理学から量子力学までざっと眺めていて気がついたことを紹介します。

モーシェの会話に重力についての言葉が多いけど、ニュートンが重力に気がつくことで物理学が始まり、慣性の法則やエネルギー保存法則へ発展していく最初の一歩としてとても重要な概念だということを感じました。

今のところ重力や光、電気、熱などのエネルギーを相互交換可能なものとして一つに説明できる理論は確立されていないみたいだけれども(超ひも理論を除く)物理学の方向性のひとつとしてエネルギーは違った現れ方をする一つのものじゃないかという視点があり、人体を通過するエネルギーもそのようにして見ると、その人の食べたものの熱量や脳から伝わる電気信号から重力からまとまって考えることができるので面白い。

量子論における観測者が観測対象に及ぼす影響については、FIをする上で感じるところがあり、マックス・プランクの考え方がまだよく掴めないので、もうちょい深入りしてより量子の視点を明らかにできたらと思っています。

何よりも物理学の入門書の冒頭にあった「正しい答えを求める前に正しい問いを発せよ」という言葉がとても響きました。人体という多様性を持った自然を眺めるとき、問いかけ次第で可能性が閉じたり開いたりした経験があったので。


フェルデンクライスに役立つ勉強をしてみよう!というのが問いかけとして何か不明確なのかもしれませんな。でも物理の知識はモーシェの仕事を理解する一助になりそうな手応えはありました。

2014年4月8日火曜日

素晴らしい時間のために


 久しぶりにテレビ番組のプロフェッショナルを見て思ったことは、最初にあるアイディアを考え出した先駆者と、そのアイディアを膨らませていく後続者に大きな意識の違いがあるということです。先駆者がそのアイディアがなぜ、この世の中に必要なことなのかを説明してくれているので、後続者は何も怖れずにそれを追求すればいいという点を感じました。

 私は、モーシェ・フェルデンクライスの後続者として、ただそのアイディアを学び伝えることだけを考えてましたが、気がついてみればこのアイディアが必要だと感じている人が周囲にほとんど居ないのです。少なくともこのアイディアに1日の中の貴重な1時間を使う価値があるのかということを明確に説明する術を持たない私自身が居る。このまま後続者の私では先がないと思いました。

 モーシェが何を考えていたかは、結局のところうまく説明できない。でも、彼から貰ったヒントを元に、どうしてこれがこんなに面白く、必要なものなのかを自分の実感と言葉で示していけるような気がしてきています。たとえ一ヶ月に一人であっても素晴らしく充実した時間を、その人にとっても私にとっても得られることを続けていくつもりです。

 モーシェ・フェルデンクライスはどちらかと言えば、後続者に配慮しない先駆者だったのではないかと思いますが、逆に私たちが自立的な後続者として成長する余地を作ってくれているのです。時に自分が従事しているこの技がただの思い込みなんじゃないかと疑い、このアイディアの勉強をしてきた何年もの月日が無駄だったのではないかと感じる瞬間があることが、揺ぎ無い価値を見つける助けとなり、フェルデンクライスに従事する者でありながら、モーシェ・フェルデンクライスの考えに隷属せず、まるで戦国時代に下克上で成り上がる大名のような野心を胸に生きていけるのだと言えば格好つけすぎでしょうか?
 

 社会でも家庭でも格好をつける場所がないので、これに取り組むこの時間だけは最高に格好つけて生きていきたい。歴史とロックミュージックが大好きな私の気持ちです。

2014年4月3日木曜日

新しい年度を迎えて

忙しさにかまけて更新が滞ってしまいました。

 フェルデンクライスの有資格者となって2年ほど経ちましたが、当初にイメージしていたほどフェルデンクライスの専門家にはなっていません。むしろ、フェルデンクライスが生活の一部として落ち着いてきた感じがします。
 私は畑を細々とやりながら、肉体労働やITの臨時仕事で生計を立てて、料理とか音楽とか読書とかを楽しんでいる日々ですし、本当の研究対象は実はフェルデンクライスではなくてもっと別にあって、それを研究する一手段としてフェルデンクライスをやっているというのが実情です。何の研究かは名前がつけられないので、今はただの「研究」です。
 畑もフェルデンクライスも私がこの世界を理解するための一手段です。初めは世界の構造を「知ろう」と思っていましたが、「知っている」だけでは理解できないことに気づくことができました。フェルデンクライスを理解するとき、その理論や技術だけを知っていっても絵に描いた餅です。日々の食べたり、寝たり、仕事したり、洗濯したり、掃除したり、喧嘩したり、落ち込んだり、もてなしたり、お世話になったりすることに応じていく身体に合流していかなければ、その理解を人に手や言葉を通じて伝えることはかなわないと感じています。その理解がどれくらいになったかを確認するのに畑やフェルデンクライスは私の生活で必要なものであり、確認が次の理解につながるのが楽しいのです。

 もともとお金儲けの才能とお金を儲ける気力がないので、「フェルデンクライスで生計を立てるにはどうしたらいいか?」ということは、できるだけ口に出して言うようにしています。が、あんまりうまくいってません。でも、その両立を考えていくことはなんとなく私の人生で大切なバランスをもたらすと思っています。心の豊かさを広げていく中で浮世離れはしたくないからです。
 フェルデンクライスで得た理解を実生活に溶け込ませると同時にすご腕のプラクティショナーとしてスキルアップしていって、この仕事を増やして行きたいです。そのスキルアップを軌道に乗せる一年として活動していくことになりそうです。なりそうですという表現はずいぶん他人事ですね。

 フェルデンクライスメソッドは結局「モーシェ・フェルデンクライスが考えたこと」という意味でしかなく、彼が亡くなった後、その先の考えを広げていくのは各自でやる必要があるのですが、それでも「フェルデンクライス」と呼ぶことに私個人として一抹の違和感はあったりします。モーシェ・フェルデンクライスが、なぜこのようなことを考えたかについてはもっともっと理解を深めたいと思っていますが、モーシェ・フェルデンクライスのやり方やスタイルまで忠実に真似るつもりはありません。もっともっといいものにしていきたいと思います。


 年度の始まりということで、色々書いてしまいましたが、今思っていることで、また学習が進むに連れてたぶん変化していくことでしょう。こんな感じで一年やっていこうと、今は思っています。なので、生活とフェルデンクライスがごちゃ混ぜに今後レポートされそうですので、ご了承ください。

花坂薫平
 

2013年7月17日水曜日

筋力トレーニングについて

 フェルデンクライスのボディワークでは、動くときに、できるだけ筋肉を使わない方法を要求されることが多いです。先日のワークショップでも「フェルデンクライスをしていたら筋肉トレーニングをする必要がなくなるのか?(もしくはトレーニングをしない方がいいのか?)」という質問をされた方がおられました。

 私の答えとしては「筋肉をトレーニングすることは必要に応じてすべきである」です。この質問について、フェルデンクライスのトレーナーであるアナット・クリヴィンヌ先生はこのように言っています。「フェルデンクライスのレッスンは学習であり、実践とは分けて考えるべきです。」筋肉トレーニングは実践に近いワークであり、フェルデンクライスは学習に近いワークです。

 仕事やスポーツにおける実践では全力を出すことを常に要求されます。プロフェッショナルとしてそれに応えていくのは当然です。しかし、よりレベルアップするときに実践だけを経験していても限界があります。全力を出していては気づかないことは、余裕を持った環境で行うことで気づくことができます。それが学習です。

 フェルデンクライスのボディワークでは、一見日常生活では行わない動きや絶対やらないようなやり方を要求してきます。これは学習の効果を高める工夫であり、仕事や生活で行う動きの直接的な指導ではありません。なので、日常から離れてフェルデンクライスの動きを楽しんで頂ければ幸いです。そうすればまた日常やトレーニングに戻ったとき、気づきや変化に恵まれるかもしれません。「急がば回れ」が学習における近道なのです。


 ちなみに私は筋肉のトレーニングらしいことは行っておりません。見た目はヒョロヒョロで頼りない私ではありますが、肉体労働や畑仕事で筋力不足で困ったことは今のところありませんので。

2013年3月12日火曜日

知らないゆえの効果


私たちは何かしようとするとき、事前に色々と知っておきたくなります。
どういう仕組み(原理)で、どういう効果が出るのかというのは誰もが気になるところです。
限られた時間やお金を使うのであれば尚更ですね。

 先日、野口晴哉さんの本の中で、出産後の骨盤の収縮に効果がある体操というものが紹介されていたのですが、これは仰向けのあるポジションで両足を上げる動きをしてもらうのです。しかし、実際にやってみると両足は上がらない。上げようと努力することで骨盤が収縮していくという原理らしく、指示された動きができないままに効果が上がる興味深い事例でした。

 しかも面白いのは、事前にそのことを説明してからやってもらうと、誰も本気で足を上げなくなって効果が上がらないとのこと。なので、晴哉さんは事前に何も言わず、「なんでこんな程度のことができないの?」とはっぱをかけて足を持ち上げさせるそうな。

 私たちはモーシェ・フェルデンクライスの実際に行ったグループレッスンの記録を元に日々のレッスンを行っているのですが、中には難しすぎてできそうにない動きや、効果がいまいち不明な動きもあります。晴哉さんのエピソードを聞いて、そのような動きに出会ったときもあれこれ考えずに信じて言われたままやってみるのがいいかもしれないと思いました。

 情報技術が発達した昨今、事前に色々調べて知っておくことが常識になっていますが、知らないままでもいい時があるのは素敵なことだと思いました。