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2015年1月13日火曜日

頭でついていけない世界(冬のセグメントの一場面)

花坂です。


16日間に渡る冬の研修が終わりました。


今回の研修の中で、舟状骨と腓骨の関係がありました。ざっくり位置を言いますと、足の土踏まずの一番持ち上がった所にある骨が舟状骨、腓骨はひざ下の二本の骨の外側にあるものです。どっちも出っ張っているので、誰でもすぐ触れます。


理学療法士さんの間ではよく知られた話らしいのですが、舟状骨を上下することによって、腓骨が足の内側や外側に回る動きが起こり、これが人間のスムーズな歩行に重要な役割を果たしているそうです。説明されると、「うん、そりゃそうだよな」っていうものでした。頭で簡単に理解できます。


さて、じゃあこの関係性を踏まえた上で足に働きかけてみましょう。となるといきなり世界が変わります。


あれ、言われた感じで動かない?
思っていた感じと違うぞ
一度働きかける相手から手を離して
自分が安定して立っているか、自分自身を視る
呼吸をリラックスして
手の力を抜いて柔らかくして
もう一度、触る


あ、隣の骨や、それを繋いでる繊維の質感が今度は感じる
自分の腰の辺りから力を伝えて、
背骨、
肩ひじ手首を通り、
手先から相手の舟状骨へ動きを伝える


伝えて待つと、硬くて動かないと思った腓骨の関節に急に隙間ができたような感じが起こる


内側と外側、どっちに動く?


外側に行きやすそうだ
ちょっとずらすだけで膝、股関節へ繋がり、小さなねじれが起こっていく
その動きに舟状骨と、それを触っている手も動いていく、
私もねじれが起こり、相手の反応に同期する


骨盤が転がり、胸郭の形が刻々と変化して
相手と自分が参加して
3次元で位置関係がどんどん変わっていく
もう、感じる情報が頭で処理できない
ただ、感じてついていく


意識で判断するのは、いつ戻るかだけだ
自分と相手の動きの質感を感じ続ける
ゆるゆると動き続けている中に
次第と軋みのような抵抗感の入り口が見えてくる


ねじれた自分の身体を戻し始めると、手がそれに従って相手の骨に働きかける
相手の骨はちょっとそれに反発する
あれ、まだ行きたい?
どうする?
もう戻ったほうがよくない?
もうちょっと行くのもいいか


自分の身体がその反発を受け入れると
双方の力が相殺されながら戻る動きが生じる


ああ、戻っていいのね


まだ膨大な動きの情報が飛び込んでくる
行きの情報とはまた、似ていて違う
ただ呼吸だけを切らさず
目や胸の力を抜いて
それらの情報を最大限に自分の身体に流す


自分の手足に動きの情報がバックロードされていく


完全に戻ったところで手を離す
20秒ぐらいで入った情報を身体が処理し終わるのを待つ
相手の身体も見ているうちに刻々と緊張の度合いが変わっていく
距離で言えば1cmにも満たない
でも記述すると途方もない旅
やっと戻ってきた


「じゃあ、この動きは日常のどの動作に繋げられる?」


頭どころか、身体もパンクしそうだ





2014年9月16日火曜日

トレーニングコース セグメント7 が終わって

先々週に東京から戻ってまいりました。

今回のトレーニングコースのトレーナー(講師)はアンジェリカ・アンケ・フェルドマン先生でした。
夏のトレーニングは2週間にわたって行われるので、正直疲れます。富山に帰ってからもしばらくは
スローな感じの動きで日々を送っていました。
特に今回はグループレッスンが倒立がテーマだったのでハードだった上に、個人レッスンの練習が3日ごとに姿勢を仰向け、横向き、うつ伏せと変化させて沢山のパターンを詰め込んだので、多くのコース生がオーバーフロー気味だったようです。

機械のオーバーフローはただのトラブルですが、人間の学習でのオーバーフローは意外と効果的だと思います。追い詰められることで今までと違う工夫を身体がし始めるのを感じます。かといって、ずっとギリギリの状態では逆に思考が止まってしまいます。フェルデンクライスのグループワークの構成の多くは安定状態と不安定状態をいったりきたりするものが多いのはそういう理由からなのかもしれません。

トレーニングにおいても、人生においても良いコンディションを保つことは奥深いものだと感じます。

先週も行ったのですが、プティファミーユあまの堀川店で今回のトレーニングコースの内容に基づいたワークを3回ほどにわたってやっていきたいと思っています。

2014年5月16日金曜日

Feldenkrais Teachers Training Ⅴ Segment6 が終わって

前回は研修のためお休みでした。

 年に3回、神奈川県の川崎市で行われている研修のスタッフで参加しています。
そこは4年間通してフェルデンクライスの指導資格を得る学校のようなものです。私はおととし卒業した場所ではあるのですが、成長し続けなければ維持できないものを感じで参加し続けています。

 フェルデンクライスの勉強をしていて面白いことの一つは、次の自分の成長内容が予想できないことです。研修を受ける前に「こういう風にスキルアップしていって、こういうことができるようになっていくだろう」とイメージしている自分と根本的に違う自分が研修後に居ます。そういう体験を繰り返しながら最近はそういうことのイメージをしなくなりました。

 未来を考えるときにはどうしても過去と現在にできたことの延長線となってしまう傾向にあります。しかし学習量がどんどん増えて要求される内容が大きく変化していくと、過去に理解したことをそのまま抱えては前に進めない瞬間に行き当たります。その時点で信じていたり、頼っているものを一旦手放すと予想もしていなかった視野が広がり、先に進めるようになったりしました。

 今回の研修も終わって1週間近くたつうちに、前よりもより確かな足場の上に立っているのを感じます。一つ一つの動きに身体の感覚が明確になっていることも感じます。今の自分にはこれより確かな足場もより明確な感覚も想像できませんが、この先もまたあるのでしょう。なので、今週末のワークショップは今回の研修のフィードバックを予定していますが、今見えるものを見える分だけ正確に伝えて、あまり完結した整理をしないで行いたいと思っています。

2013年11月18日月曜日

ミア・シーガル in 神戸

 モーシェ・フェルデンクライスは残念ながら故人となってしまいましたが、未だにモーシェと共にフェルデンクライスメソッドを作り上げた人々の中に存命の方がいます。その中の一人がミア・シーガルです。
 もちろんミアはモーシェと全く考えが同じというわけではないはずですが、その言葉と所作からフェルデンクライスメソッドの幹のようなものが浮かび上がります。

 生きている人からしか学び取れないことがあるということは、エンジニアをやっていたときには考えたこともありませんでした。今までは生きていようが死んでいようが、言葉になって残っていることから学べばいいと思っていた節があります。今回、ミア・シーガルのワークショップに参加できたことは、形にできない生きたものを学ぶ機会を得られただけでなく、33年の人生で初めて学ぶということがどういうことなのか少し理解できた瞬間でもありました。


 というわけで、一番学んだ部分は言葉で書けるようなものではないのですが、備忘録とフィードバックも兼ねて、今回のワークショップのメモを以下に綴ります。



-プラクティショナーとしてクライアントに対する考え方の一つとして

「その人のことは、その人が何とかするしかない」


-FIにおいて手をあてることについて

「鏡のようであること。その人の動きや姿がはっきりわかるようにすること。」


-FIのプロセスについて

「まず、見ること。見たことを触って見た通りか確かめること。(左右に)違いを見つけること。見つけた違いをわかりやすく提示すること。それだけ。簡単でしょ?」


-動きへの視点

「より大きく、より全体に広がっていく方向性を見つける。」


-FIをする上で言葉で相手に指摘すべきかと質問された際

「言葉は情報量としても説得力としてもコミュニケーションの中で最も下のランクの手段です。」


-あとは個人メモ

わからないことは考えない、想像だけで決め付けない
スキャニングにはもっともっとすごい可能性がある。手を抜かない。
あと、心が足まで届いているか?



2013年1月15日火曜日

ティーチャーズトレーニングコース 2013 冬

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

川崎で年間3回行われているフェルデンクライスの指導者養成の研修に行って参りました。
既に4年間通っていて卒業資格はあるのですが、まだまだ必要性を感じて勉強に行っています。

新しい人にまぎれて4年前と同じような内容の授業を再度受けているわけですが、感じることや、気付くことが前と全く違います。4年前の発見はそのままに更に別の発見があるのです。別々の理解レベルの人に同じカリキュラムをしても、各レベルに見合った効果が出る授業の構成の妙を感じました。

次回は5月ですが、また勉強に行きたいと思っております。


フェルデンクライスアカデミーHP