夏季トレーニングコースのスタッフの仕事が終わり、富山に戻ってきました。
故郷は東京なのですが、富山に戻ってくる方が呼吸が楽になり、ほっとした気持ちになります。
川崎のトレーニングコースも新しい期が始まり、エラット先生からフェルデンクライスの概念を伝える様々な説明がなされていました。
その中でも学習方法が根本的に違うことを繰り返し説明されており、要約するとテーマやカテゴリーを設けて集中的に勉強するようなことはしないという内容でした。
私たちはテーマを設けて学ぶことで、学ぶ範囲と学習のゴールを暗に作っています。テーマを設けないということは、範囲やゴールを設けられないのです。なので、目の前で展開されている光景を、提示されている情報を最大限にありのまま受け取る必要が出てきます。
詳細を観察するほどにさらに詳細な情報が現れ、全体を見るほどにもっと広いコミュニケーションがあることに気づきます。どこまで学んでいいのか、何を学んでいいのかが曖昧になってきます。テーマごとに学ぶ方法で無意識に目指していたものが崩れ始めます。
目の前の事象からテーマに沿った重要なポイントを見出し、全体を把握することができないのです。できるだけ集中してポイントを押さえ、短時間で学びを終わらせようという、今まで普通に目指してきた方法が通用しません。 これが終わりがない学びの世界に足を踏み入れた瞬間です。
この世界で学べることは、今この瞬間に興味が向いている所だけです。次の瞬間に別の興味が向いたらそこからくる情報を受け入れます。
全く洗練とはほど遠い、つぎはぎだらけの学習方法であり、それでいて一瞬一瞬で受け取って処理される情報量はテーマを設けている学習に比べて爆発的に増加します。
意識の上では大して学んでいないはずなのに、一日が終わるとどっと疲れる経験を何度もしました。
そして今日の学習時間は終わったはずなのに体のどこかがずっと処理をし続けているような不思議な感覚のまま床に就くことになります。
フェルデンクライスのトレーニングで受け取って処理されていく情報は、テーマこそ持っていませんが、ある方向性を持っています。方向性には正解がありませんが、精度を高くしていくほどに正確なものが見えてきます。
生後半年から1歳ごろの子供が行っていること一つ一つにテーマはありませんが、立ち上がり、歩く動きへの方向性を持って様々な動きが存在しています。そしてそれは立ち上がったり歩いたりした後もそれらを洗練し続けるものなのです。
方向性はテーマと違って範囲や終わりがありません。
これがフェルデンクライスにおける学習の一側面として私が説明できることです。
私自身もそのようなトレーニングを提供するつもりで学んでいきたいと思っています。
9月のスケジュールにデイサービス木の実の内容を追加いたしました。
その時になぜかスケジュールが表示されていない設定に変わっておりましたので、表示するように再度設定しなおしました。
他にもいくつかブログの仕様が変わっておりますので、もしも今まで通りの表示がされていない方は花坂までご連絡ください。