2019年4月15日月曜日

機能について考える

すっかりスケジュールの更新を忘れておりました。申し訳ありません。
毎週のグループレッスンも予約制の個人レッスンも平常通り行われております。
6月までのスケジュールを更新しました。

 コンピュータで使われる「機能」という言葉が先行しているせいか、人間の「機能」というものも同じように捉えてしまっている節があったのですが、生物学の適応の視点から見れば人間をはじめとした生物の「機能」は環境に応じて変化していく存在であり、無生物の「機能」は椅子や机のように固定された存在です。

 人間の歩くという機能は、何らかの障害がない限り当然の機能と思われていますが、歩く場所や歩きながら行う作業の要求によって機能の形質は個体ごとに大きく異なります。その人の職業や住環境の選択によって歩行によって達成するべき内容が違うからです。

 私たちが個性と呼んでいるものは、その個体が生存のために選択した作業や場所からフィードバックされる刺激と個体の形状が折り合いをつけた姿と見ることができます。ここで「生存」と呼んでいるものは単に死から遠ざかるための行為だけでなく、個体の持つ欲求や感情が発揮されるアクティブなものも含めて使っております。

 歩くという機能に個性が持ち込まれた結果、生まれて最初に歩き始めた時のシンプルな移動のための動きから徐々に離れていきます。年齢とともにその個体の置かれた環境に最適化された形で飽和状態となった歩行機能に対して、フェルデンクライスは介入します。

 その人の体重を移動させるのに必要最低限な動きにしていくことで歩行機能をその人全体の動きから「分化」します。そして再度その人の生活に溶け込んだ機能として歩行を「統合」します。基本的にただそれだけしか行いません。もちろん、分化する機能は1レッスンのうちに複数存在し、その分化された機能同士で動きを組み合わせたり、組み合わせ方を変えたりするので、実際はもっと複雑ですが。

 分化と統合がもたらすものは機能の単純化による環境適応への柔軟性の回復です。多くの複雑化しすぎた機能は環境の変化についていけず、もしくは安定性を失って破綻します。生活に必要な機能を適切に分化し、今の状況に最低限必要な動きとして統合していけば次の変化に対応する余力が生まれます。

 ゆえに生物の動きから機能という視点で働きかけることには、コンピュータの機能改善とは比べ物にならない大きな価値があるのです。