2017年3月20日月曜日

経験がもたらす解像力

35歳を過ぎてから、世界の広さは変わらずにその景色が豊かになってきたように感じています。
若いままでいることも素晴らしいのですが、年寄になることを忌避する必要はないと思うようになってきました。ただ、若い人と違う世界に没入していくことの恐怖はあるかもしれません。

子供を観察するとその柔軟さに驚かされる反面、背景の空白が感性に限界を作っているのも感じます。年を経た大人の背景は経験が折り重なって実にきめ細かい読解力があり、子供とは異なる柔軟さを生み出します。

子供と老人には共通するところがいくつもありますが、一見似ているようでいて老人の行動は経験の飽和によって引き起こされており、子供の動きは経験の空白によって行われているように見受けられます。

4Kなど高解像度の技術が次々と生み出されてきてますが、解像感の高い世界を得るには物事の歴史的経過や背景を知る必要があり、人の中に豊かな世界が築かれてやっと高解像度の技術が生かされ始めるのだと思います。そういう意味で技術が人にとって代わろうとしているのではなく、技術は人に更なる成長を促してるように思えるのです。