2016年9月15日木曜日
知らないことを見つける
「グループレッスンで行った動きを覚えておいて家で反復したい」
という相談が多いことについて、このブログでも何度か考えてきましたが、
今日、朝食後の皿を洗っていてふと思ったことは、
「知らないことに触れたときにこそ、人は輝く」
ということでした。
覚えたものを反復しているときに、あの輝きはないなぁと思います。
私たちは学習を進めるにつれて知っていることだらけになり、
知らない世界にたどり着くことが逆に困難になってくるときがあります。
そうすると、知らない世界を求めて私たちは、より遠くへ船出したくなる欲求に駆られます。
フェルデンクライスが素晴らしいのは、
すぐ身近なところに未だ発見を待っている世界があるのだと、実感できることです。
ただ、そこでもまた「知っているもの」を増やす努力に勤しんでしまっては、
この富山の街に増えていくコンビニのように、
自分の生きる世界がまた退屈な景色になっていく手伝いをしている気がします。
レッスンで行った動きを家でやってみること自体は素晴らしいと思います。
しかし、くれぐれも完璧にできることの確認作業はしないでほしいと思います。
今起こっていることをちゃんと「見て」欲しいのです。
目は開いているけど見えてない、音は鼓膜に伝わっているのに聞こえていない
私たちは日常、そのように暮らしています。
そうでなければ感覚の洪水に溺れてしまうからだと思います。
そして、既に覚えているものを使って大半の動作をしています。
私は、生きて動いている自分自身を
はっきりと、具体的に、質感を持って、まだ知らない何かを感じ取る
その瞬間を求めてレッスンに臨んでいます。
なので、その動きから生まれるものはその場限りのものであり、
本来は持ち帰れません。
ただ、家でまた別の視点から別の状況でやってみることで、豊かな何かが生まれることも
楽しいのではないかと。
またよくわからなくなったらレッスンに来て、質問してください。
そのよくわからない状況から、面白いものを一緒に探しましょう。