これは個人的な趣味の話です。
ただ、フェルデンクライスを楽しむ上では欠かせない視点でもあります。
フェルデンクライスの技術が、学習にもつながり、治療にも繋がるということは、
教育でもあり、医療でもあるということだと思います。
教育と医療に共通することは「何か」を伝えるということです。
学習に繋がる「何か」を生徒に伝える
回復に繋がる「何か」を患者に伝える
「何か」が纏う形は言葉であれ、体罰であれ、薬であれ、手術であれ、たくさんあります。
しかし、その「何か」が最小限の力で成されることにこそ、その伝わりに大きな違いが生まれます。
教育も医療も、「至れり尽くせり」の状況が何よりの毒ではないかと。
なぜなら、学習も回復も受け手である本人の力によってのみ成されるものなのですから。
一度のきっかけで本人の学習や回復が長く、広く、深く行われる
そういう自由なスペースを確保した上でのメッセージとなるために
その課題に対して独力で解決できる最小限のサポートとして、「何か」を伝える。
そのためには、
伝わるタイムラグを待つための忍耐が必要となり、
伝わったかどうかの微妙な変化を読み取る観察が必要となり、
最小の力を調整する巧みさが必要となり、
根本から学習や回復を問い直す哲学が必要になります。
この果てしない最小への取り組みは、フェルデンクライスを通して私の生涯楽しめる修練の一つです。